2014年3月4日火曜日

宗龍寺

八幡町垢離取場(こりとりば) 宋龍寺(そうりゅうじ)  (第八番 祇陀寺 関連)

現住所 盛岡市茶畑2-1 (らかん児童公園)




十六羅漢像と五智如来像

 この地は、市内寺の下祇陀寺(ぎだじ)の末寺宗龍(そうりゅう)寺のあったところで、境内に安置されている石像は十六羅漢像と五智如来像(大日如来、釈迦如来、多宝如来、阿弥陀如来、阿しゅく如来)の合計二十一体で丸彫りの巨石群として有名である。

 南部藩の四大飢餓といわれる、元禄、宝暦、天命、天保の大凶作のとき多くの餓死者が出たが、その供養のために祇陀寺十四世、天然和尚がこの石像の建設を発願し、南部領内から供養喜捨を得て、その浄財で天保八年(1837年)十月工事に着手した。 そして紫波郡飯岡山から石材を切り出し、藩の御用職人が三年間を要して、あら刻みをおこない、仙北町、青物町付近の若者達の奉仕で北上川を舟で運び、更に川原町、鉈屋町を経て宗龍寺に送り入れ、最後の仕上げをしたという。 この運搬だけで半年を要したといわれ起工から十三年目の嘉永二年(1849年)六月、天然和尚の愛弟子に当たる仙北町長松寺十三世泰恩和尚のときにようやく竣工をみるに至った。

 宗龍寺は、明治維新後、祇陀寺に併合されて廃寺となったが明治十七年(1884年)十一月の大火で灰になり、現在は二十一体のこの石像群を残すのみとなったのである。


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・2014/07/02 写真追加 らかん児童公園 写真

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